【体験談】うつ病を患い精神科病棟に入院した話を語ってみる




今から2年程前、長引く鬱から精神科の閉鎖病棟へ入院した。
この入院がきっかけで、私の鬱は快方に向かい、鬱の薬とも決別することができた。
入院から退院までの心境、閉鎖病棟の様子を当時を振り返りながら書いてみたいと思う。

自ら希望して精神科病棟へ入院

鬱の治療を始めて3年程経った頃、私の鬱は薬では治らないかもしれないと感じていた。

月に一度の医師の診察、カウンセリング、投薬のお陰で、底が上がってきたと感じることも多かったが、気力がある日と何もできない日との差がどんどんと大きくなる。

気分が良い日が続くと、このまま治るのではないかと期待する。
そうかと思えばまた動けなくなって絶望する。

こんなアップダウンを味わうのなら、精神科に行くのを止めてしまって、ずっと鬱のままでいた方がマシなのではないかと思う。しかし他に頼るものがない私は、疑問に思いながらも通院を続けていた。

精神科にはいろいろな人がいる。芸能人かと思うぐらい綺麗な女性や、学生服を着た子とお母さん、ノートパソコンを広げて仕事をしている人もいるし、うつむいて一点をずっと見つめている人もいる。わんわん泣いている人もいれば、静かに涙を流し続けている人もいた。

医師の診察の日、いつものように私は、順番を待ちながら他の患者さんを眺めていた。その時にはじめて、この場所が「好き」だと感じている自分の気持ちに気がついた。

さすがに自分でもこの感情には戸惑ってしまい、なぜそう思うのかと突き詰めていったところ、それは「精神科にいる間だけは自分らしくほっとしていられる」という安心感からくるだと分かった。病院の中では、私もそして他の患者も、自分をさら出せる、自分の好きなように振舞うことが許されている。

ここでは頑張らなくていい、情けなくてもいい、誰も私に何かを求めていない。ダメな自分を繕わなくていいという状態に心底ほっとし、看護師さんや医師が自分を気に掛けてくれる、やさしくしてもらえることが心地よかったのだ。

鬱が快方に向かうには時間がかかる。
しかし、病状が思うように良くならないという事実には気落ちするばかりで、時おり、どうしたらいいんだろう、何でもいいから助けて欲しいとパニックになることがあった。

あるパニックの時、ふと精神科での心地よさ思い出し、自分がくつろげるあの場所で生活すれば、私の鬱は良くなるのではないか?あそこならば、家や世の中で生きるよりずっと安心なのだ、という感情が沸き起こる。

この時はじめて、これままで何度も医師からすすめられてきた「入院」という措置を、受け入れられることができたのだった。

その後すぐ、医師に入院したいという希望を告げると、「休息」という理由での入院を一ヶ月することに決まった。自宅では十分に休息できない事情にある患者を入院させることは、精神科ではよくあるという。

想定外の早期の退院

そこからの入院準備は楽しかった。
入院したらゆっくり眠れる、読みたかった本も読めるかもしれない。そう思いながらパジャマを新調し、本を買い込み、やってみたかった塗り絵や高価な色鉛筆まで購入した。「あと数日すれば精神科へ逃げられる」入院生活への私の期待はどんどんと膨らんでいく。

入院当日、旅行にでも向かうような私に、家族がどんな顔をしていたのか記憶がない。しかし、大きな希望を持って始まった入院生活は、予定より2週間も早く終わることになる。なぜかと言うと、個室での入院の希望が通らず、4人部屋に入ることになったからだ。

なぜ個室に入れないのかと聞くと、私が「不安定な状態」だからだと医師は言う。そうでなくても神経質な私が、他の患者と同じ部屋で一ヶ月も過ごせるわけがない。想定外の出来事にがっくりしたが、そのまま家に帰るわけにもいかず、入院の検査を済ませ、閉鎖病棟へと向かった。

しかしまだ分からない。もしかしたら静かな部屋で疲れた心を休ませることができるかもしれない。閉鎖病棟に入るまでは、そんな期待を捨てられずにいた。

精神科の閉鎖病棟の中にはwifiが通じており、PCやスマホの使用に制限はない。お菓子や飲み物も持ち込み放題。いつでもデイルームを利用でき、テレビを見ても良いという。

ただ一つできないのは、病棟の外に出ること。病院内のコンビニにすら行くことはできない。必要なものがある時は、看護師さんに頼むと調達してきてくれるという。

とはいえ、病棟内でこれだけの自由があれば、外に出られなくても耐えられるのではないかと思った。しかし入院生活が数日も過ぎると、外出できないことがじわじわと苦痛になってくる。

精神科の閉鎖病棟は、これまでの人生で見たことのないような恐ろしいところだった。昼夜問わずに聞こえてくる怒鳴り声とそれをなだめる看護師の声。叫び声のような独り言、開けっ放しのトイレから聞こえてくる奇声、何かを殴る蹴るする音がいつもどこかから聞こえてくる。

病室のドアは常に開けっ放しだから、騒音が途切れることはない。
もし院内の外出ができれば、少しの間でもその音から逃れられるのだが、それは許されない。消灯するまで常に、患者が出す耳障りな音を聞いていなければならないのだ。

では夜間は平和かというと、それはそれで怖い。
消灯後に病室のドアが閉まると、それまでとは真逆のしんと静まり返った空気に、気がおかしくなりそうだった。

おぞましい病棟の様子に、睡眠薬を飲んでも明け方まで眠れず、出された食事は喉を通らない。睡眠不足と栄養不足で身体は弱り切っていたが、そのことを医師に相談しても、いつもの精神薬と睡眠薬が処方されるだけ。

安らぎの場所となるはずだった病室は、かつてないほどの苦痛を味わせられる、自宅や世間よりも劣悪な環境だった。あんなに家にいるのが辛いと思っていた私が、早く自宅へ戻りたいということしか考えられなくなってしまう。

医師の回診の際、「もう限界なので家に帰りたい。」と訴えると、予定よりは早いが退院してもよい、という許可がおりた。

入院前と何も変わっておらず、気持ちの整理すらつかないまま自宅へ戻るのは怖かったが、もう一晩でも閉鎖病棟で過ごすことができなかった私は、入院2週間で自宅に戻ることになった。


ここまでが精神科へ入院してからと退院するまでの筆者の記憶だ。

こんな入院ならするんじゃなかったと何度も後悔したが、悪夢のような閉鎖病棟の中でも、家族と離れて一人になったことで、自分自身について見えたことがあったと、後々になって気が付いた。

非常に恐ろしい体験だったが決してムダではなかったと言うことができる。


その後の、鬱からの回復は別のページに書いてあるのでそちらを見ていただきたい。
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